祝福ムードの中で始まった新元号も、日を追うごとに馴染んでいく気がする今日この頃。皆様もご存知のとおり、「令和」はあの『万葉集』からの出典ということで、企画展や特集で改めて採り上げるミュージアムも少なくないようです。
万葉集と言えば、日本最古の歌集。奈良時代(7~8世紀頃)には、現在に近い形にまとめられていたと、よく耳にしますよね。書籍もよく売れているとのことですので、「令月」「風和ぎ」の表現を含むという「梅花の歌」の実際を確かめた方も少なくないでしょう。
万葉集でもうひとつ、よく話題に上がるのが、皇族、歌人、農民など幅広い層の人々が詠んだ歌が収められているという点。でも、これ以上のこととなると……学校で学んだはずなのですが、すでに記憶の奥底へ。とわけで、今回は、ミュージアムコレクションの中から「万葉集」「萬葉集」を検索してみることにしましょう。
万葉集については、その成立時期や経緯からして、実にさまざまな説があるようです。まさに諸説紛々といった趣ですが、こうして研究者たちが活発な議論を続けてきたからこそ、現在まで受け継がれているのかもしれません。
多くの国文学者が自身の研究結果をまとめていますが、歌人としても高名な土屋文明もその一人です。こちらは、昭和19年(1944年)に初版が刊行された『万葉集上野国歌私注』です。名著『万葉集私注』の第1巻を発表する5年ほど前ですね。
●万葉集上野国歌私注|群馬県立土屋文明記念文学館
https://jmapps.ne.jp/tsuchiyakan/det.html?data_id=21210
与謝野鉄幹で有名な雑誌『明星』に参加していた窪田空穂も、歌人としての創作活動と国文学者としての研究活動を並行した人物です。こちらの写真は、著書『万葉集評釈』執筆の図とのこと。貴重な1枚ですね。
●空穂「万葉集評釈」執筆|窪田空穂記念館
https://jmapps.ne.jp/utsubo/det.html?data_id=10777
空穂の写真をもう1枚。こちらは、『万葉集評釈』の刊行時に催された完成祝賀会、1952年に撮影された集合写真です。なお、『万葉集評釈』は、全12巻とのこと。前述の『万葉集私注』も全20巻だそうですので、やはり大作になるのですね。
●「万葉集評釈」刊行 完成祝賀会集合写真|窪田空穂記念館
https://jmapps.ne.jp/utsubo/det.html?data_id=10796
さて、日本の国歌である『君が代』の歌詞が『古今和歌集』から取られた和歌であることは有名ですが、万葉集の歌からも楽曲が創られています。こちらの楽譜『春秋競憐判歌』は、飛鳥時代の皇族・額田王の歌に、明治生まれの作曲家・信時潔が曲を付けた作品だそうです。少し調べてみたので、ここにメモを。「もとは、天智天皇が藤原鎌足に『春と秋のどちらが良いか競わせよ』と命じたことから生まれた歌?」「鎌足自身は、どちらかと言えば秋派だった?」……いや、日本史って楽しいですよね!
●春秋競憐判歌|東京藝術大学附属図書館
https://jmapps.ne.jp/geidailibnobutoki/det.html?data_id=3964
こちらはオペラ『万葉集~二上挽歌編』が演奏されたコンサートの宣伝イメージ。作曲は映画やテレビドラマの音楽でも知られる千住明さん、台本は俳人の黛まどかさんという豪華な面々。「挽歌」とは、棺を挽く歌、死者を悼む歌。内容は、飛鳥時代の皇族、大津皇子と大伯皇女のレクイエムとのこと。『明日香風編』に続き、とても美しい曲に仕上がっているようです。
●フレッシュ名曲コンサート|サントリーホール
https://jmapps.ne.jp/suntoryhall/det.html?data_id=17198
いかがでしたでしょうか。古典をじっくり振り返ると、新しい時代を迎える厳かさがグッと高まる気がしますね。関連書籍が好調ぶりを見聞きするに、改元をきっかけにミュージアムのコレクションに触れ、悠久の日本史の世界へと誘われる方も多そうです。もちろん、私もその一人ですので。
冒頭の写真は、この原稿がきっかけで見つけ、実際に足を運んでみた東京都狛江市の万葉集歌碑です。こんな感じに住宅街にありました。
温故知新の精神で迎えた、「令和」の時代。よい時代にしていきたいものですね。