モノづくり大国として世界にその名を轟かせる日本。日ごろから何気なく「日本製」を使ってきたわけですが、年齢を重ねたせいか、最近は「職人の仕事」を強く意識するようになりました。コンマ1ミリ、コンマ1グラムの改善に挑戦する気概と技術。メイドインジャパンの名声を支える方々への敬意は深まるばかりです。
そんなわけで、今回は東芝未来科学館を訪ねてみました。日本のモノづくりを代表する企業の情熱が詰まったミュージアム、ワクワクせずにはいられません。
まずは、企業の成り立ちをざっくりと復習です。明治8年(1875年)に創業者である田中久重氏が東京・銀座に「諸器機械製造所」を設立。その後二代目久重の田中大吉が、明治15年(1882年)に「田中製造所」を設立しました。展示はここから始まります。
田中久重と言えば、最近よく耳にしますよね。天保8年(1837年)、30代にして圧縮空気で油を補給する画期的な灯「無尽灯」を考案し、50代に突入した嘉永4年(1851年)にはあの万年時計こと「万年自鳴鐘」を製作。そのほか、驚異的な精度を誇るからくり人形から、蒸気船や機関車の模型に至るまで、生涯にわたりあらゆる機械を手がけ続けて「東洋のエジソン」とも讃えられた偉人ですね。
当時、田中翁の店には、「萬般の機械考案の依頼に應す」との看板が掲げられていたそうです。機械なら何でも作ります!と宣言しているわけですね。意欲十分、やる気に満ちあふれた宣伝文句ですが、この時点で齢すでに75歳だったというのですから、その若々しさに改めて驚かされます。
こちらのミュージアムでは製品が時代順に展示されているので、時系列を追う形で、各時代の背景を脳裏に描きながら進むことができます。すべてご紹介すると膨大な量になってしまいますので、今回は特定の製品分野をピックアップしてみました。
まずは洗濯機から見ていきましょう。
これが初期の洗濯機。この製品の中には、日本初の電気洗濯機用モーターが内蔵されているそうです。ちなみに、館内の展示には、「我が国初」が頻繁に登場します。「世界初」という単語もたびたび目にしますので、前例のないことにチャレンジし続けてきた東芝のモノづくり魂がよく表れていますね。
上の写真は、昭和27年の洗濯機。「機械」と言うよりも、雑貨のようにも見えます。シンプルなレトロ感を発散していて、現代の住まいに置いても割と映えそうなデザインですよね。下の写真は、昭和40年頃の製品です。解説によれば、この頃に普及率が40%を達成したのだそうです。ハンドルが取り付けられたこのタイプ、個人的にも見た記憶があります。「古い洗濯機」のイメージそのままといった趣ですよね。
次に、テレビを見ていきましょう。まずは、1953年製の白黒テレビ、木製ブラウン管7型です。上の洗濯機よりも10年も後なんですね。
上から順に、14インチの白黒テレビ(1959年)、日本初のカラーテレビ(1960年)、そして前回の東京五輪が開かれた1964年のカラーテレビです。一番下は、いわゆる家具調テレビの走りという感じでしょうか。50代の私も、うっすらと記憶があるような気がします。こちらのモデルは、当時の価格が175,000円とのことです。同じ年のサラリーマンの平均月収は27,200円ですから、給料の半年分の値段だったことになります。
こうして眺めてみると、洗濯機よりもこまめにアップデートされているような印象でしょうか。誕生と同時にお茶の間のド真ん中へと進出したテレビに対する人々の関心の高さがうかがえます。
さて、次の製品です。一見、金庫のように見えますが、何だかお分かりですか? 実は、日本最初の冷蔵庫。戦前の1930年に発売されたそうです。まだ物々しい雰囲気ですが、1950年代になると、かなり現代の姿に近づきます。
1957年のモデルは、こんなおしゃれなカタチに。いろいろと露出していたパーツなどが内部に収められて、デザインがとてもシンプルになりました。これも、洗濯機と同様に、いまのキッチンにも似合うかも。
上の展示を見た瞬間は冷蔵庫かと思いましたが、全然違う製品でした。下の写真をご覧になればお分かりですね、実は電子レンジです。上は日本初の製品で、1964年に登場したもの。当時の国鉄の食堂車にも搭載されていたそうなのですが、最初はこんなに大きかったのですね。ところが、そのわずか5年後には下の写真まで小型化され、家庭用の電子レンジとして発売されます。
ちなみに、下の写真の家庭用電子レンジの宣伝には、「電波で新しい味」「すばやく楽しいホームクッキング」という表現がキャッチフレーズとして使われたそうです。後者はともかく、前者を聞いた当時の主婦は驚いたでしょうね。
家庭内の次はオフィス。こちらは、1950年に作られた手動式計算機の試作機とのこと。ちょっと使い方を学んでみたくなるルックスですよね。
この大きな機械は、日本初のマイクロプログラム方式コンピュータ。1961年、京都大学と共同で開発に取り組んだものだそうです。そう言えば、昔のテレビドラマでは、こうした巨大な機械が並んだ研究所のシーンをよく見ましたよね。SF系のアニメでも定番でした。
こちらは、電卓です。東芝製の量産化1号機とのこと。重量は約18kgで、価格は36万円。個人ではなかなか手が出ないと思いますが、企業や銀行で使われていたのでしょうか。このメカニカルなサイズ感から、手の平にすっぽり収まる小さな板状へと進化したんですね。
それからこちらは、世界初の日本語ワードプロセッサー。1978年に作られたもので、ポイントは「文節指定入力によるかな漢字変換」機能です。そうですよね、日本語はタイプライターのように文字を入力するだけではなく変換が必要ですから、開発は大変だったでしょうね…。
そしてこちらが、パーソナルワープロ。「Rupo」という名称なのですが、個人的に思い入れがあります。この写真は1985年の製品とのことなのですが、この2~3年後に私も「Rupo」を購入し、大学の卒論を書いたのです…。そうそう、表示エリアが、現在の電卓の画面くらいの大きさだったんですよね。でも、入力した文字がここに表示された時には、心の底から感動しました。懐かしいです。
そしてこちらが、世界初のノート型PC。1989年製とのことですが、この年、私は社会人1年生でした。なんだか親近感を覚えます。
ものすごく駆け足のご紹介で、恐縮です。最後に、館内の風景を。
お邪魔したのは平日の昼間でしたが、ご覧の通り、子どもたちの姿でいっぱいでした。私が見学したのは「ヒストリーゾーン」で、このほか「ウェルカムゾーン」「フューチャーゾーン」「サイエンスゾーン」があります。手で触れて体験して学ぶことができる展示も多数用意されていて、「サイエンスステージ」ではショーも開催されていました。子どもたちのキラキラした目がとても印象的でした。
展示をじっくり眺めた後、子どもたちの姿を見て、この博物館の名称が「歴史資料館」ではないことに納得しました。企業ミュージアムとして、先人たちが子どもたちへ「モノづくりの魂」について語りかける場所。そんな願いを込めて「未来科学館」という名称にしたのだろう…と。
この日、ここで笑顔を振りまいていた子どもたちが大人になり、彼ら自身の子どもを持つ頃には、どんな製品が生まれているのでしょうか。館の外に出て、マナーモードを解除したスマートフォンの未来像を思い描きながら、帰路につきました。