人々の暮らしと想いを運んできた『電車』たちの記憶。

全国のミュージアムを訪ね歩くという仕事柄、出張のたびに各地のローカル線にお世話になっています。多くの路線は、夕方になると地元の中高生たちの下校で、車内はとても賑やかに。彼らが大人になり、あるいは地元を離れることになっても、車内で夕陽を浴びながら友人たちと過ごした時間は、きっとかけがえのないものになるのでしょう。

そんな場を提供してくれている電鉄会社ですが、ローカル線の利用者の減少の報に触れるたびに胸が痛みます。大切なものが消える、もう会えなくなる…。上の写真、路面電車に分かれを告げる人々も、そんな寂しさを味わっていたのでしょう。

だからこそ、当時そのままの「記憶」を保存してくれるミュージアムがあるのです。そんなわけで、今回はミュージアムのコレクションを「電車」で検索してみました。まずは、今は走っていない鉄道にまつわる資料から。

●交通・乗物/湖西地域/昭和40年代|琵琶湖博物館 人とくらしアルバム
https://jmapps.ne.jp/biwahaku_h/det.html?data_id=89467

大正10年(1921年)の春に開業し、琵琶湖のすぐ横を走っていた江若鉄道。のちに開業する国鉄湖西線とほぼ並走する形となることから、湖西線建設計画に伴う議論の末に廃線が決定されました。この写真は、昭和44年(1969年)の路線廃止の日に撮影されたもの。記念列車が走行し、多くのファンやカメラマンが訪れたそうです。

●川越線電車運転開始・さよなら気動車記念入場券|福生市郷土資料室
https://jmapps.ne.jp/fussa/det.html?data_id=18001

川越線電車運転開始・さよなら気動車記念入場券。鉄道がお好きな方なら、名称を読んだだけで感慨に浸れることでしょう。説明には「タブレットをかたどったきっぷ入れがついている」とありますが、タブレットPCのことではありません。弊社のマニアックなスタッフに聞いたところ、「単線区間で列車が衝突しないようにする仕組みのひとつですよ」と即答。詳しい話はこちらで。

https://news.mynavi.jp/article/trivia-466/

 

次に、新しい路線が開通した記念すべき日の写真です。何気ない風景に見えますが、実は歴史的な1枚なんですよね。

●地下鉄東西線、営業開始初日|浦安市郷土博物館
https://jmapps.ne.jp/urayasufkm/det.html?data_id=62067

東京都民にお馴染みの地下鉄東西線が開通したのは、昭和42年(1967年)9月のこと。その後も建設は進み、約1年半後の昭和44年(1969)3月29日には中野〜西船橋間の全線が開通しました。初日の早朝のホームの様子でしょうか、何とも穏やかな雰囲気ですが、この日は東陽町から西船橋間の無停車(快速)運転も開始。東京五輪が終わり、都心はさらに進化していきます。

 

●小松白山電鉄小松駅(昭和初期)|小松市立博物館
https://jmapps.ne.jp/kmthk/det.html?data_id=2168

ホームに映っているのは駅員さん、それとも乗務員さんでしょうか。鉄道マンの制服姿が凛々しいですね。写真は昭和初期に撮られたもので、のちの北陸鉄道小松線の前身「小松白山電車」の開通時の様子です。この路線は、小松駅から鵜川遊泉寺駅までの5.9kmを結ぶ鉄道でした。終戦直後には大いに賑わいましたが、やがて利用客が減少し、昭和61年(1986年)に全線が廃止されたそうです。

同じアングルで撮られた昭和60年ごろ北鉄小松駅のカラー写真も残っています。車両や制服の変化がみてとれます。
https://jmapps.ne.jp/kmthk/det.html?data_id=2169

 

●琴平高松間高速度電車開通記念|香川県立ミュージアム
https://jmapps.ne.jp/kpm/det.html?data_id=24519

高速度電車。新幹線を想像する人も多いかもしれませんが、「高速度」とつく鉄道は多いそうです。弊社マニアの解説では、これは路面電車より速いという意味なのだとか…なるほど。こちらも昭和初期の資料のようです。まさに「マニア垂涎」といったところですね。

 

続いて、「電車って、こんなところでも活躍していたのか」と思う写真を紹介しましょう。

●郵便物運搬用電車(東京鉄道郵便局)|郵政博物館
https://jmapps.ne.jp/postalmuseum/det.html?data_id=360619

東京駅と東京中央郵便局の間には、郵便物を搬送するための地下隧道があり、そこには電気機関車が郵便物を搭載した台車を牽引して走っていたそうです。写真から、当時の活力が垣間見えますね。こちらの館長が書かれた以下の資料に、郵便物搬送用地下軌道のことが詳しく載っていますので、ぜひご参考に。

https://www.postalmuseum.jp/publication/research/docs/research_04_04.pdf

●クモユ141型郵便専用電車|郵政博物館
https://jmapps.ne.jp/postalmuseum/det.html?data_id=361480

●クモユ143型郵便専用電車(制御電動)|郵政博物館
https://jmapps.ne.jp/postalmuseum/det.html?data_id=361538

郵送のための車があるのは分かりますが、電車バージョンもあったのですね。かつて大活躍した郵便専用電車では、実際に走りながら郵便物の区分けをしたりすることもあったのだとか。車両も実に興味深いのですが、職員の皆さんもすごいですよね…。

 

日常の一部だった電車ですが、特別な日には「ハレの日仕様」に。

●大正博覧会デー花電車(太鼓竹に虎狸々)|松本市立博物館
https://jmapps.ne.jp/matsuhaku/det.html?data_id=4602

大正博覧会とは、大正天皇の即位を祝って開かれた博覧会。花で飾られた電車は、お祝いムードどころか、まるでお祭りのよう。当時の方々がいかに喜んだのか、そんな空気が伝わってきますね。

 

●絵はがき:東宮殿下御帰朝奉祝花電車|新潟県立歴史博物館
https://jmapps.ne.jp/ngrhk/det.html?data_id=20874

こちらも大正時代の写真ですね。大正10年(1921年)3月、皇太子裕仁親王、のちの昭和天皇がヨーロッパ歴訪にご出発。この写真は、同年9月のご帰国を祝って作られた花電車でしょうか。史上初の皇太子の訪欧ということで、内外で大きな話題となったご外遊。屋根にはご訪問先の各国の国旗があしらわれ、こちらも祝賀ムード満載といったところです。

 

最後に、地元のご高齢の方にはきっと懐かしい写真を2枚紹介します。

●絵はがき:横須賀停車場|新潟県立歴史博物館
https://jmapps.ne.jp/ngrhk/det.html?data_id=7432

JR横須賀駅と思われます。「停車場」という呼び名に古きよき時代の風情を感じますが、実はこの駅、首都圏としては非常に珍しい「階段がまったくない駅」なのだとか。かつてはトイレの前に数段の段差があったそうですが、現代はごく一部の段差を除き、バリアフリーに「戻した」のだそうです。この当時は本当に広場といった趣ですね。

 

●現在の武蔵小杉駅を走る南武線|高津区ふるさとアーカイブ
https://jmapps.ne.jp/takatsu/det.html?data_id=3654

発展著しい武蔵小杉エリア、昭和初期の様子です。現在は利用者でいっぱいの南武線ですが、大正10年(1921年)にできた当時は、多摩川の砂利運搬を目的に設立された民営の鉄道だったそうです。古い写真を見るといつも思いますが、「東京にもこんな時代があったのだなあ」と、温かい気持ちになります。

 

いかがでしたでしょうか。各時代の電車の風景は、本当に「当時の暮らしぶり」がリアルに伝わってきますよね。だからこそ、地方の路線が姿を消すのは、本当に寂しいこと。ミュージアムのコレクションで昔の電車にまつわる資料を眺めながら、「電車」をますます応援したくなりました。

 

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