東京は西方に位置する羽村市にやって来ました。
JR青梅線の羽村駅を降りると、ロータリーの周りには飲食店、スーパー、銀行などが、程よい間隔で立ち並んでいます。
春の陽気のなかで穏やかな人通りを眺めていると、その暮らしやすそうな風景に、思わず和んでしまうほど。
そんな駅前から1分もかからないような場所に、ふと現れる緑豊かな空間。
「公園かな?」と思い近寄ってみると、そこには何と遺跡がありました。
東京都指定史跡「まいまいず井戸」です。
設置されていた案内板によると、「まいまいず」とは、カタツムリのこと。
井戸に向かってぐるぐると降りていく通路は、上から見ると、まさにそのものといった趣です。
このあたりは崩れやすい砂礫層で水位も深かったため、この形状に掘削しなければならなかったのだそうですよ。
それにしても、駅前にこのような珍しい史跡が保存されているとは、驚きました。
歴史と人々の生活が切り離されず共存する姿が、東京都内にもしっかりと残っているのですね。
そんな羽村のことを、今回は、少し詳しく学んでみることにしました。
地域のことに詳しい地元マスターと言えば、やっぱり博物館や資料館ですよね。
というわけで、今回は羽村市郷土博物館を訪ねましたので、駆け足ながらご紹介いたします。
広々とした敷地内の風景に心地よい開放感を覚える羽村市郷土博物館。
奥の方には遊歩道が広がっており、文化財も点在しています。
ちなみに、駅から歩いてくる途中、多摩川を渡る橋からの景色は、なかなかの絶景なんですよ。
これは休日の散策にもお勧めのルートかもしれません。
では、館内に入ってみましょう。
常設展示は、『多摩川とともに』というメインテーマ。
この鑑賞日記コーナーでも時々触れることなのですが、やはり「水のあるところに文化あり」であるようです。
さて、羽村市域での文化のはじまりは、なんと縄文時代にまで遡るそう。
館内には、丁寧な解説パネルや発掘された縄文土器のほか、あわせて模型も展示されていました。
ちなみに、解説パネルによると、竪穴式住居の面積は、およそ20~25平方メートルだったそうです。
現代で言えば、ちょうど一人暮らし用のアパート物件ほどの広さでしょうか。
縄文時代は5~6人の家族で暮らしていたとのことですので、ファミリーにはちょっと手狭かもしれません。
とは言え、写真の模型のように、住居の外にも生活空間が広がっていたなら、話は別です。
模型を見ると、どこからどこまでを住まいと言うべきか、ちょっと判断がつきませんよね。
「狭い」「広い」の捉え方自体が、近現代的な尺度であるような気もしてきます。
さて、多摩川と言えば、水と人々との関係を大きく変えた「玉川上水」を思い浮かべます。
江戸時代に生活用水を供給するために造られた上水道です。
当時、江戸まわりの小さな川では水量が少なく、江戸の町は水不足だったのだとか。
自然の水流を利用して配水するには、標高のあるところから水を引いてくる必要があります。
そこで取水地として選ばれたのが、ここ羽村でした。
つまり、羽村は、江戸文化の興隆に大きく貢献していたことになるわけですね。
さてさて、安政5年(1858年)の横浜開港以来、蚕種(蚕の卵)や生糸の輸出品が活発になります。
それと歩調を合わせる形で、羽村市域でも養蚕が盛んになっていきました。
当時使われた器具や、蚕室(蚕を飼う部屋)の再現展示を見ると、当時の人々の工夫が伝わってきます。
こうして駆け足で眺めるだけでも、とてもここでは紹介しきれない情報量。
羽村の歴史の長さとボリュームに、感嘆の息が漏れるばかりです。
東京都心部の周辺の街と聞くと、比較的新しいベッドタウンという印象が強いですよね。
でも、今回の羽村の散策では、その土地自体が非常に深い歴史を湛えていることを学ぶことができました。
過去と現在とが地続きであることを教えてくれた羽村と、羽村市郷土博物館。
近場にこれほど魅力的な場所があるのですから、都民の皆様も、ぜひ足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。