ミュージアムを求めて日本中を旅する弊社スタッフ。ここ数年、社内では「人力車を見かけたよ」という報告が増えました。浅草や鎌倉、京都はもちろんですが、松山や小樽などでもお馴染みの風景としてすっかり定着した感がありますね。
というわけで、人力車のルーツについて、少し調べてみました。明治3年3月、和泉要助・鈴木徳次郎・高山幸助の3人が連名で提出した雛型寸法書付きの出願書に東京府が許可を出したことがはじまり…という説が有力なようです。「ステイホーム」と「コロナ疲れ」が深刻な社会問題と化している、令和2年の春。出張先で人力車を見かける日々がいかに平穏だったか、いまになって痛感します。
ちょっと照れながら乗る観光客も、案内しながら車を引く俥夫の方も、そして道往く人々も周囲の車も。みんなが笑顔のあの穏やかな光景に、早く再会したいなあ…。そんな時は、ミュージアムのコレクションです。「人力車」を検索してみると、想像以上に元気をもらうことができました。
- 歌川芳虎/人力車|足立区立郷土博物館
https://jmapps.ne.jp/adachitokyo/det.html?data_id=562
まずは、冒頭の画像から。こちらは歌川芳虎の浮世絵なのですが、「年代」が明治4年10月となっている点にご注目を。前述の説が正しいとすると、人力車がデビューした翌年、当世流行のスタイルを紹介するカタログ的な作品だったのでしょうか。俥夫たちの脚の力強さも印象的ですね。
- 「敦賀神楽町 熊谷市右衛門」|福井県立歴史博物館
https://jmapps.ne.jp/fukui_archive/det.html?data_id=8084
明治20年の『福井県下商工便覧』に掲載された「人力車並人馬継立所」の様子。今でいう「バスセンター」みたいなものなのでしょうか。活気あふれる様子が目に浮かびます。
- 三代目広重(画)・秀勝(彫工)/東京開華名所図絵之内・四日市郵便駅逓寮(集配員建物馬車)|郵政博物館
https://jmapps.ne.jp/postalmuseum/det.html?data_id=388619
次期1万円札の顔・渋沢栄一によって設立された第一国立銀行を背景にした人力車。洋風建築と和服の女性たちが文明開化の時代を象徴していますね。実に絵になります。
- 逓送車(人力車)|郵政博物館
https://jmapps.ne.jp/postalmuseum/det.html?data_id=362297
今の時代に人力車と聞くとタクシーのようなイメージですが、一方で、こちらの姿も想起しますよね。写真は、「郵便御用」の逓送車。さほど大きなものではなさそうなので、狭い路地もチャキチャキスイスイと配達する姿が目に浮かびます。
- 二代長谷川貞信/大阪日々新聞紙|ニュースパーク日本新聞博物館
https://jmapps.ne.jp/newspark/det.html?data_id=18686
解説に「病に倒れた父親に代わり、娘が人力車を引き生活費を稼ぐという新聞に掲載された美談」とあります。人力車を引く作業がいかに重労働だったか、改めて学ぶ思いです。
- 絵はがき:SHANGHAI. JAPANESE CONSULATE 日本帝国総領事館 No.1(笹川コレクション)|新潟県立歴史博物館
https://jmapps.ne.jp/ngrhk/det.html?data_id=22019
遠く中国の地に、日本の人力車の姿。絵はがきに描かれた立派な西洋建築は、上海の日本総領事館なのだそうです。手前の道路に人力車が何台も写っていますので、現地にも定着していたのでしょうか。
- アラウッディン(絵)、ユヌス工房(車体製作)/リキシャ|福岡アジア美術館
https://jmapps.ne.jp/faam/det.html?data_id=3539
「リキシャ」はバングラデシュの乗り物で、日本の人力車がルーツなのだとか。人力車は、実は明治日本の輸出品でもあったようです。写真は1994年と比較的近年の製造のようですので、現地の文化に根ざしながら独特の装飾技術が発展し、目にも豪華な乗り物へと発展したわけですね。
こうしてミュージアムのコレクションを眺めると、人力車とは、文明開化から近代へと発展の道を歩む日本の勢いを象徴するような存在だったことが伝わってきます。そして、現代の人力車は、観光地の賑わいのひとコマとして存続することに。つまり、「元気と活力のあるところに人力車あり」であるわけですね。
俥夫の皆さんの明るい声がこだまする日が、全国各地に早く戻ってきますように。そのためにも、今は「外出自粛」を頑張りましょう!