日本を代表する繁華街のひとつ、渋谷。
若者文化の発信地としてはもちろん、現在では渋谷駅の大規模な再開発でも知られていますね。
そんな時代と共にめまぐるしく変化していくこのファッショナブルな街にも、おすすめのミュージアムがあるんです。
今回訪れたのは、白根記念渋谷区郷土博物館・文学館。
世界から注目を浴びる最先端の街をひとつの「郷土」として捉えるなんて、なかなか貴重な機会になるかも。
そんな好奇心をくすぐられながら館内に入ってみると、そこには想像以上に「意外な渋谷の姿」が広がっていました。
それでは、駆け足ながら早速ご紹介させていただきましょう。
まずは2階の常設展示室へ。
展示は、なんと、ナウマン象の化石の発掘現場模型から始まります。
こちらは1971年、地下鉄千代田線の工事中に発掘された様子を再現したもの。
場所は現在の原宿駅付近、地下約21mの地点。
「ほぼ一頭分」の化石が見つかったのだというのですから、驚きです。
ナウマン象が日本で生息していたのは、今から20~2万年前くらいまでとされています。
もちろん当時は駅など影も形もなく、現在の渋谷とは似ても似つかぬ状況だったことでしょう。
……と、頭では理解できるのですが、それでも目の前の「ナウマン象と渋谷」がなかなか結びつきません。
日本の都市と言えば、電車がひっきりなしに走ったり、高層ビルが立ち並んだりする風景。
でも、その地下鉄やビルの下には、考古の世界が広がっているのですね。
土地の隆起・沈降を繰り返して形成された渋谷の地層からは、ナウマン象だけでなく貝の化石も出てくるのだとか。
私たちが知らないだけで、実は「化石の街」なのかもしれませんね。
渋谷で人が暮らし始めたのは、およそ3万年前なのだそうです。
陸地化により人が住むことができるようになったわけですが、川に浸食されて細い谷が入り組んだ複雑な地形になったのだとか。
そう言えば、渋谷駅は、道玄坂や宮益坂といった坂に囲まれています。
こうした地形も、太古の時代から形成されてきたものなのですね。
おや、気になる展示物が。
こちらは、主に江戸時代の文献に見られる「渋谷の伝説」を集めたものだそうです。
手でぱらぱらとめくることのできる展示形式になっていますよ。
いずれも伝説ですから、虚実のほどはわかりません。
でも、桜や松の木、寺社にまつわるエピソードなどは、当時の風景を想像させてくれます。
江戸時代、市街地が拡大するにつれて、のどかな農村地帯から武家屋敷や寺社や町屋が増えていった渋谷。
しばらくは農村と都市という二面性のもとに発展しますが、これは1654年(承応3年)につくられた玉川上水の貢献もあったようです。
玉川上水については、その上流域にある羽村市郷土博物館の展示でも学びました。
その時の様子はこちらにまとめておりますので、よろしければ。
明治維新を境に、渋谷の風景も急速に洋風化していきますが、ここでも驚きの事実が。
たとえば、当時の渋谷には、なんと牧場があったのだとか!
牛乳の需要が拡大したことで作られたものの、大正中期に宅地化が進み、歴史の中に消えていったのだそうです。
いまの街の姿からは想像もできませんが、渋谷の牧場で絞った牛乳はどんな味だったのでしょうね。
関東大震災による人口流入や、私鉄の開通も相俟って、渋谷も新時代を迎えた大正時代。
集合住宅で有名な「同潤会アパート」が建設されたのも、この頃なのだそうですよ。
新しい洋風の住まいを求める人々は、毎月定額収入のある、比較的裕福で高学歴のサラリーマンだったのだとか。
楽しい展示物を見つけました。
こちらの模型には人感センサーが備えつけられていて、来館者が近づくと、照明や音響による「上演」が始まる仕掛けになっています。
朝から昼へ、そして夕暮れから夜へ。
街の明かりやざわめきがゆっくりと移り変わっていく街を眺めているうちに、なんだか温かい気持ちが湧いてきました。
ちなみに、駅舎の後ろに見えるのは東急百貨店東横店の前身、昭和9年(1934年)創業の「東横百貨店」。
多数の人々や市電・バスが行き交う賑わいは、現在へと続くターミナル駅としての渋谷駅の「前夜」といった趣です。
前回1964年の東京五輪にまつわる展示もありました。
戦後の渋谷区内には「ワシントンハイツ」という広大な米軍住宅があったそうです。
それが返還されて、オリンピック開催のための主要施設が建てられたのだとか。
インフラの整備が急速に進み、それまでの街並みが一新されていくわけですね。
駆け足でご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?
白根記念渋谷区郷土博物館・文学館は、渋谷駅からバスで10分、徒歩20分ほどとアクセスも便利。
来館前と来館後では、きっと街の見え方が変わることでしょう。
何とも不思議で楽しい体験ですので、皆様もぜひどうぞ。
●白根記念渋谷区郷土博物館・文学館